訴訟協議の進め方-初期対応編ー

訴訟協議の進め方について、次の3点について思うところを述べる。

1 特別送達を受けたら、直ちに報告する。

2 内容を確認次第、直ちに関係所属を特定する。

3 顧問弁護士に相談し、訴訟追行方針を決める。

 

1について、特別送達が来たら法務部門が受け取ることとするのが望ましいと考える。その理由は担当所属に任せてしまうと情報共有が遅れる可能性があるからである。また、訟務部門は訴訟になる可能性のある案件を把握していることが多く、そのイニシアティブを発揮し、事務的な部分での執行を進めていく必要があるから。

そして、訴訟案件について、団体・法人として大きな影響を持つものが多いため、直ちに執行機関の長等に報告すべきである。その際、2について、案件の性質を踏まえ、関係所属を直ちに特定すべきである。

ここで重要なのは、法務部門に相談があった案件か、そうでないのかである。前者であれば、事案について概要も把握し、もちろん担当所属も然りである。一方、後者であれば、まず、紛争が起こっている所属を特定する必要がある。また、いずれの場合についても、担当所属が一つとは限らない。必要があれば紛争化しているとき、特別を受けたときにかかわらず、早期に部門をまたぐ協議の場を設けるべきである。このイニシアティブの発揮について、原則として紛争を担当している所属が行うべきと考えるが、諸々の理由によりうまく調整がなされない場合、訟務部門が率先して場を設け、議論をリードすることも求められることがある。全ては紛争解決のためである(何をもって解決とするか、この線引きも併せて考えていかなければならない。)。

そして、事件の概要、どの弁護士に委任するかなどについて、検討の後、直ちに報告すべきである。特段の指示がなければ、事務方で方針をまとめ、長等の了解を得、又は指示を仰ぐこととなるだろう。

3について、団体によって、特定の顧問弁護士がいるところ、そうでないところもあると思われるが、通常、指定代理人を立てない限り、弁護士に委任して進めていくことになると思われる。弁護士の側での利益相反がないか、まずはチェックしてもらうことを失念してはいけない。

委任を受けてもらえる弁護士が見つかり次第、訴状、書証等を送付するとともに、認否表を作成し、事実について速やかに伝えるべきである。法的な主張は、精密な議論ではなく、主張に係る方針を簡単に述べる程度でよいと思われる。例えば、行政訴訟に係る原告適格がない→却下を求める、(本音としていくらかの過失による負担が生じるとしても)棄却を求めるなど。通常、却下ないし棄却を求めると思われるが、それはそうとして、長の意向やどのあたりまで譲歩できるかはできるだけ早く示すべきと思う。訴訟戦略も考えていかねばならない以上、方針の大枠は早期に詰めておくべきである。答弁書について3行答弁もやむを得ないが、早期に認否表の作成に取り掛かっておくべきである。認否表の作成に資するのは、被告側における協議録等である。日々の記録は付けておくに越したことはない。

初期対応において、これらが重要と考える。

組織の中の法規担当ー文書に向き合う姿勢ー

組織の中での法規担当の役割について、ヒトゴト課の職員との会話の中で気付きを得たので、いくつかを共有します。

 

以前から、ヒトゴト課から新採向け研修の依頼があり、文書研修と法務研修を今年度は担当することとなった。

せっかくということで、学習効果を高めるため、いくつかを提案している。研修受講者の対象を増やしたり、事前課題をやってもらったりと、研修構成を練っている。なお、私の事務分掌にはないのだが、あくまでも研修の内製化を図るということで、法規担当をやめても私にやらせるなどというアリガタイ言葉をもらっている。ぜひ反故にさせてもらいたいところ。

 

学習効果を高めるため、OJT担当者の能力向上を図りたいのだが、受講者の書いた文章をOJT担当者が校正し、両方とも私が採点するみたいなことを提案したのだが、猛反発を受けた。学習効果を高めるため、3桁くらいのペーパーなら見てやろうと思っていたのだが、そもそもそういう問題ではないらしい。

 

問題の所在は、職位が低い者が高位の者の文章にケチをつけることはいかがなものか、ということだった。当然、私は職務の中で、誰の文章であっても手を入れることはあるのだが、むしろそれは例外的であるようだ。ほぼ、法規担当しかしてこなかった私、言われてみては当たり前かもしれないが、非常にショックを受けた。

 

ここからは私の意識について焦点を当てるのだが、文章のルール・お作法があるからして、当然、その文章をブラッシュアップすべきと考えていたのだが、要は部下が上司のことにケチつけるのは、できないだろう、と。

言われてみれば、私も頼まれれば、一緒に検討しながら、推敲を重ねるわけだが、こちらから内容はそうと、体裁や用語がマズいと言うと反発は少なくない。

 

これらについて、文章の作法を知らないんだなぁとか、そこに時間をかけるのがパフォーマンスに見合わないと思って「敢えて」やらないんだろう、と思っていた。

のだが、ふと腑に落ちたのは、できる・できないではなく、文章を直される、それも下のやつにそうされること自体を快くないと思う人たちがおり、上がそう考えているかどうかはさておき、上の者の生産物に指摘することは、事実上タブーであると、そのように考える層がいる、ということ。

 

もちろん、組織の方針や意思決定に従うことは理解している。が、その方針や意思決定を文章化するときに、詰め切れずに、ゆるふわな文章を作って良しとしている例が、私の観測範囲だけでも少なくないのに、全社的にはかなりの数があるのだろう、ということ。

 

私自身は、文章の校正や遂行を組織的に行うこと、あるいは下の者が行うことも業務改善の一部であると考えているのだが、その考えは、少なくとも弊社においては(誇張して表現すると)異端的ですらあるかもしれない。

 

そも、なぜ文章を推敲しきらればならないのか。

ふたつの側面がある。ひとつは、形式的な統一性である。当該団体における共通ルールを踏まえた文章・文書を作成し、これを使い、その団体における用語や意味の統一を図る。もうひとつは、内容的な統一性である。いわずもがな、用法用語が統一なされていない文章は、誤解を生む。もちろん、論理的に精密だからといって、誤読がなくなるわけではない。むしろ悪文とすら言われる可能性がある。

これらについて、その団体の行うことについての信頼性にも関わる事柄であると、私は考え、重要視しているのだが、そうではないらしい。

むしろ、必要な文章がそろっている「ようであれば」よいのだ。あるいは、表現したいことが書かれていなくても、尽くされていなくてもよいのだ。

 

これらの点にを踏まえ、彼らが見落としている点があると思う。

それは、読み手のことを考えてはいない、ということ。

読み手に伝わるように書くこと、読み手にどう伝えればよいか、これらについて悩むのであれば、何を伝えたいのか、この文章で伝わるのか、誤解ができるだけないようにどのように表現すればよいのか、そのように考える必要があるだろう。

その視点が大きくかけている。

 

単に、文章遂行能力が低いとか、職位が上の人の意向が重要であるとか、そういった組織風土におさまらず、発出相手のことを考えていない、その視点が欠如している、そのことについて私はショックを受けたのだと思う。

 

誰に対して、その文章を送るのか、何を伝えたいのか、果たして表現したいことがしきれているのか、改めて若いのには伝えていきたい。

併せて、最終的に、法的にトラブルなどになったとき、第3者がみてどのようにとらえられるのか(裁判になって、その文書が書証となり、必要事項が記載されており、論理一貫して述べるべきことを述べられているのか、読みてるか)、伝えていきたい。

そして、彼らの能力向上を通して、組織全体の能力が向上することを祈るばかり…

祈っているだけではいけない、そのような仕組みや仕掛けこそ必要だ。

 

そのひとつとして、先の提案をしたわけであるが、先に述べた重要性以前に、内部的な論理だけで文書について語られてしまったことに、かなりショックを受けている。

当たり前の発想であるし、組織である以上避けられない点であるが、上席の言うことは正しい、正しくなくても指摘することは避けるべきという原則として、組織風土に残していくのはこれらからの時代の複雑性に対応できない硬直性といえるのではないか。

(指摘する場面はTPOに応じて考えるべきであるし、口は災いのもとでもあるのだが)そのような上席が減っていくことを祈るばかりである(こればかりは祈るほかないか。)。

法務研修はダレのために?

研修は、研修担当者(所属)の自己満足で終わってはいけない。

なぜか。

研修の目的は、業務に必要な考え方、知識、経験などを、職員に対して教授することにより、これらを用いて業務をこなせるように、よりよくできるようにするためであるからだ。研修は手段であり、それ以上でも以下でもない。

 

よくある「役に立たない研修」と呼ばれてしまうものは、2種類あり得るのではないかと考えている。第1に、研修することになっているもの。過去からの「伝統」である。思考停止の産物である。第2に、基礎的な考え方を知るもの。法務研修は、こちらに該当するのではないかと考えている。

もちろん、前者に該当するものも、ある。いかに後者として、つまり、業務の土台となる考え方を知ることのできる研修として構成できるかが、重要であるといえる。

 

法務研修の対象を考えると、次のように分類できるのではないか(あくまでも一つの軸に過ぎない。)。

1 新規採用職員

2 中堅職員

3 管理職

4 法規担当職員

5 事業者又は一般市民

 

5については、性質を異にする。どちらかというと、説明会や市民講座というかたちで提供されるだろう。以下では、1から4までについて議論の射程を絞る。

 

1について、基礎的な事項を知ることが重要になる。業務としても携わっていない、携わって半年くらいなど、実務や経験も乏しい。加えて、OJT重視である場合、体系的な研修を受けていないことも想定される。彼らに対しては、基礎の基礎から享受することが望ましい。物事の見方や考え方など、即効性のあるものは教授しがたい場合でも、学習の基礎となるものを扱うことがかえって重要ではないか。

2について、一定の実務経験を踏み、いくつかの部署を経験していることが想定される。実務経験を踏まえ、それらを整理するかたちで、体系的な知識の整理・構築へと至るように構成するのが望ましい。マネージメント層には至っていないが、後輩がいることも多い。担当レベルでの相互チェックを積極的に推奨したい。それができるように、すべきであることを重視しながら、教授するのが望ましい。

3について、管理職の専決により、事務処理が決することがある。これについて、自身の責任の下、判断していく必要がある。これらの業務を担うがゆえ、本来であれば、下が整えてきた事務について、問題がないか、迅速かつ慎重に判断する必要がある。管理職は、議会や地域の状況、首長の方針などに目敏く反応し、時に抑え、時に上げていく必要がある。その時に重要なのは、必要があれば、下に差し戻し、的確な指示を出すことである。そのために、広範な知識を再確認する必要がある。また、マネージメントが長いと、改正の最先端などに疎くなることがある。これについて、包括的な説明を行うことも、一つではないかと考えるところ。

4について、内部又は外部の研修機会を確保する必要がある。外部にも講座は少なくない。某2週間の研修は必須。内部的には、法規担当職員が少ないため、OJTとならざるをえないだろう。研修というよりも、ノウハウの承継に力点を置くべきかもしれない。

 

これらについて、誰のために?と問われたらば、法務研修に限らず、住民福祉の向上のため、と即答しなければならない。そして、そのために適正な事務執行を行わなくてはならず、適宜、法の規定や案件の性質に応じた判断を、裁量の範疇で、行わなくてはならない。そのために、各種知識は必要である。

個人的には、OJTではなく、一括研修をより重視するべきであり、配属される所属によらず、基礎的事項は全ての職員が最初に学ぶべきと考えている。が、1年目であっても、イチ戦力として換算してしまう弊業界の伝統が存続している限り、なかなか難しいといわざるを得ない。このような事情を踏まえ、業務内外での研鑽が必要であるが、その動機付けはなかなか難しい。少なくとも、それぞれの業務に必要な知識は業務の中で身に付けるべきであるが、業務内外で学習しようとする動機付けを、研修の中で図っていくことも重要だ。私の場合、私が面白いと感じる議論や論点、はたまた知識などを話すようにしている。幾人かでも、共感してもらえるならば、よいとそこは割り切っている。もちろん、万人受けする研修にしたいところであるが…(法務研修は万人受けするか?万人受けする法務研修とは?)

法規担当者は、譲らない?

法規担当者の仕事は、所属団体にもよりますが、審査と訟務(法務相談含む。)がメインになります。

団体によっては、両方を兼ねることもあれば、大きい団体になると、その機能が分割されていることもあるでしょう。保守的(むしろ、法制執務に忠実というべきか)な団体であれば、法規担当課と呼ばれ、政策と法務の両方を意識すると、政策法務担当などと呼ばれるかもしれません。

いずれにせよ、これら2つの業務のいずれか又は両方に、法規担当は関わっているわけです。

 

日々の法務相談について、それは法解釈、契約書の規定の整理、損害賠償請求、許可の取消しといった不利益処分に係る相談もあれば、稟議に係る理由付けやそもそも起案の回付についてなど、事務の執行に係る相談もあるでしょう。

 

法規担当者は、当該組織の内外の活動に係る相談について、よく「判断」を求められます。法規の解釈を分掌している以上、法令等の解釈はもちろんのこと、契約書や通知文の読み方なども求められることがあるでしょう。これらの局面において、一定の法制執務の知識とそれぞれの分野に係る情報を担当者から聴きとるなどしつつ、解釈を示すことになります。ここで、法制執務上・法的には、との枕詞をつけて、解釈を示すことになります。丁寧な担当者であれば、及び又はなどの構造をひもとき、相談者にもわかるように、解説することもあるでしょう。

 

このような「判断」とは別領域のもの、つまり、政策領域に係る「判断」を求められるとき、法規担当者はどう対応すべきでしょうか。もちろん、法規担当者の属する組織の事務分掌にもよりますが、法規担当者があくまでも解釈に徹するのであれば、解釈を示し、あとは事業担当課判断で、つまりそれは政策・ビジネスマターですよ、と返すことになるでしょう。

事業担当者が、解釈を求めている場合、判断材料を求めていたり、疑義が生じたところを詰めるという作業をしていることになります。一方、そもそも、生煮えの制度設計を示し、「はて、どうすべきですか、法規担当さん?」と尋ねられる…そういう経験をお持ちの方も少なくないと思われます(むしろ、全ての法規担当者は、多かれ少なかれ、経験しているのではなかろうかと、個人的には感じます。)。

 

法規担当者は悩みます。

法制執務上は、○○とするのがよい。原則は、○○だ。なぜ、わざわざ、そんなことをやりたがるの???

 

一方、事業担当課は、市民、利益団体、内部調整、附属機関等の意見を踏まえ、骨子をまとめていくわけです。まぁ、鶴の一声も往々にしてありますが。

 

ここの隙間において、法規担当者は悩みます。

 

例規等の審査として、関わる以上、体裁や形式的な部分での整理や定義の整理は、避けて通れません。また、できるだけ、厳密さを確保し、「○○等」の「等」について、何が含まれているのか?必ず質問することになるでしょう。定義としての「A、B及びC(以下「A等」という。)」と何らの定義もない「A等」は別物です。

この点について、最低限の法制執務の知識と審査経験があれば、それなりにまとめることはできるでしょう。

 

問題の所在はそこではなく、やはり、制度の中身になります。

 

一足飛びに事業担当者の思考を踏まえると、

1 制度の中身について理解していない

2 作った制度が有する目的とは別の目的が本音にある

3 手段への拘泥(内外からの要望ないし指示)

が法規担当者と事業担当者の隙間にあると考えています。

 

これらを区分して、対応する必要があります。

1について、こちらで理解に努め、例えば国の制度を、法解釈や通知やもって説明し、理解してもらい、現在の実務との違いを理解してもらうことが、共通了解を得る王道ではないでしょうか。

2について、なるほど!と膝を打つようなこともありますが、たいていは…

3について、その手段を取ることがある種の政治的アピールなどになることはありますが、最終的な判断はさておき、目的手段関係を整理して、示しましょう。文章にすることが望ましいです。

 

形式的な審査はそれはそうと説明するとして、内容について、やはり法規担当者と事業担当者の間に、距離はどうしても生じてしまします。

法規担当者は、形式的に詰める中で、内容について整合性が取れていないことがわかれば、詰めていくべきと考えます。その中で、当該例規によってなすことができる範疇を超えていないか、あるいは整合性を取るために、再度定義を検討するなどが必要です。

超えさせてはいけない、かといって書かないのもよくない。いずれにせよ、リスクマネジメントかとは思いますが、全体の整合性をまずもって考え、審査に当たるのが良いのではないかと考えるところです。